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sense of wonder
不思議さを感じることのできる、こころの不思議。
その謎を探るような日々の足あとを綴ります。

アトリエは9時半に始まるので、それなりに早起きして家を出ています。もちろん日本で仕事をしていたときに比べれば、だいぶ遅いとは思うのですが。

パリでは、昼間からカフェに沢山の人々が集い、和やかに時を過ごしています。カフェの数に劣らず街中に溢れるほどにあるブランジュリーにも、香ばしい香りに誘われるように、人々が集まります。店に入れば、マダムが「Bonjour!」と、生き生きした笑顔で迎えてくれます。日本では普通「いらっしゃいませ」ですが、こちらでは「こんにちは!」と、言うようなものですね。「またお越しくださいませ」に代わって、「よい一日を!」となります。このニュアンスの違いはほんの小さなことだけれど、長い目で見れば大きな文化の違いに繋がるのでしょう。

東京とパリではここ彼処にわずかに異なる風が吹いており、そういう風に吹かれるたび、ふと立ち止まる癖は初めてパリを訪れた頃と全く変わりません。もちろんそれは、パリを見つめている時だけではなくて、日本を見つめている時も同じなのです。

例えば、インターネットでのインフォメーションを見るときや、記憶の中の日本を思い出している時など。最近とても不思議なのは、あらゆる事象を「型」に収めようとする「流行語」が、にぎわいを見せると言うことです。例えば古いものだと「KY」、近しいもので「草食系男子」など。どちらも、人によっては暴力的な言葉になりかねないもののように感じるのだけれど、企業などの「組織」の中での縦割りの世界の中でさえ、軽々しく使われていたことをふと、思い出すのです。友人同士での間で使うこととは、意味が異なるように思えてなりません。

良い悪い、好き嫌いは別として、そういう新たな「型」の生まれてゆくことがにぎわいのひとつである、ということが、本当に不思議でならないのです。対してパリには、新しいものに塗り替えることよりも、古くから使われている事柄を自然に守っていこうとする何か、力があることも、不思議。

こんなに不思議な世の中で、いったい誰が、狭くて窮屈な型に収まりたいと願うのかしら。


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狭いところがお好き? 


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高くて広いところが好き。

  • 2010年4月12日

先日の日記、春の野とBenny&Joonに載せた大好きな映画のオープニングの動画を見て、「相変わらず、好きなのね!」というメールを懐かしい友人から3通も頂いてしまった。かれこれ8、9年前くらいから好きだ好きだ言っていたせいかしら 笑。この、「相変わらずね。」というせりふ。数年前までは、言われてもピンとこないというか・・・特に嬉しい言葉でも無かったように思います。でも最近では、どこかホッとしてしまう。久しぶりに会った人に、相変わらず、な雰囲気を感じると何故かホッとしてしまうのと同じような感覚なんですね、きっと。作品なんかでもこう、個性とまではいかないけれど、相変わらずにじみ出てしまう雰囲気や考え方をぽん、と指摘されて、はっとするような、そういう巡り合いは思いがけない時に起こるもの。無意識にしているしぐさや思考は、どこまでも終わりがないように感じるのと同時に、これからの旅のなかで、無意識の世界との巡り合いが沢山あると思うと、とてもドキドキするのです。

ところで、今夜はフランボワー’sというバンドの生演奏を聞き、とても美しい音色にうっとり。心に残る音色は、時がたってふとまた耳にした時、昔聞いた時の雰囲気がまた甦るから、不思議。

物語が始まりそう。うさぎのいる花屋さん。本当にドキドキ。

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左は、本物のうさぎ。

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