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sense of wonder
不思議さを感じることのできる、こころの不思議。
その謎を探るような日々の足あとを綴ります。

夏至が過ぎ去りました。

この時季にふと過る風景は、parisのFete de la Musiqueの様子。

町中が音楽祭となって、一晩中賑やかに過ぎてゆくのですね。

私は特に目当てのコンサートなどを決めずに、友人とふらふら町を歩いて、気になる路上アーティストの前で足を止め、

お酒を飲みながら、弾き語りの音を聞きつつ、お喋りをして過ごしたのでした。

音楽とともに刻まれる鮮明な記憶は、日を、歳を重ねるごとに増えてゆくもの、

たまに古い記憶を取り出してみる愉しみ・・・うふふ、きっと誰にでもある、静かな夜の過ごし方のひとつかしらん。














今年、庭の梅の木は当たり年なのか、豊かな実を大きなかご3ついっぱいにつけておりました。

(まだ今朝も落ちていたので、さらに増えるかもしれません・・・)

この梅は、今年の1月の記事に載せた赤い蕾の姿をしておりました。

これが大量のジャムとなって、我が家の冷蔵庫に保存されております・・・。



梅雨の湿気の多いこの時季、この梅ジャムを、炭酸水とハチミツとともに頂きますと、

はっと目の覚める甘酸っぱい濃厚な味がやみつきになりそうです・・・。




こんばんは(にっぽん時間にて)、外は静かに雨が降っています。

紫陽花の季節となりました。職場である美術館のそばや、電車などの移動空間にて、可愛らしく咲いている姿を見かけます。


ミラノから帰国し、今の職場へお仕事のお話を頂き、数年ぶりに母校へ訪れたのが6月6日と、ちょうど一年前。

時の流れの早い、遅い・・・とは本当に、置かれている環境・立ち場によって移ろう感覚的なもの、

あらもう6月、早いですね!というせりふ(他愛無い会話)が、つい、こぼれるカレンダー上での印象は、

葉の色の移ろいや雲の動き、あるいは地球の裏側を意識するとき、ぼんやりと薄れてゆくのが分かります・・・。

カレンダーあるいは時計の時間軸を、「大体の目安」という感覚で捉えているヒトが多い国もあるのです(例えばイタリア)。

それはもう、例えばメトロの時刻表はあって無いようなもの、町中の時計はほぼ合っていないetc…日常がそう、語りかけているのです。

与えられている環境に柔軟に溶け込みながら、異なる時間軸を意識すること(愉しむこと?)は、

日ごと、そして一年という月日を豊かにするのではないかしら、と思うのです。


つい1ヶ月と少し前に、誕生日を迎えたのですが、にっぽんで迎えるのは、じつに3年ぶり。

すこうし離れたところに住んでいる妹から、サプライズでケーキが届いたり、

出勤日では無い同僚が(これもまたサプライズ)職場へ贈り物を持って来てくださったりと、

大切な記憶の一日となりました。

新しい歳を、心機一転!ではなくて、

前の2回をミラノにて、その前をスイスにて迎えた記憶へふんわりと、自然に重なるように・・・、

大切にしてゆきたいと思いつつ、過ごしております。



あら、こうして言葉を探して綴っているうちに、真夜中の雨はあがったようす。



閉館後の美術館ロビー、夕暮れ時。


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