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sense of wonder
不思議さを感じることのできる、こころの不思議。
その謎を探るような日々の足あとを綴ります。

今日はなんて暖かな風が吹いていたのでしょう。明日からはまた冷え込んだ空気に戻ってしまうとのこと。ほぼ毎日通り過ぎる、横浜の海からも柔らかい風が吹いておりました。またしばらくの間、素晴らしい海から遠い街へ行くと思うと(いえ、少し遠出をすれば海に出ることは出来るけれど)、じっと、目を凝らして、心に刻みたいと願うものです。今日のような日は、ついつい考えなければならないことを投げ出して、この柔らかい風に甘えてしまいたくなります。こころと身体の流れが、風のリズムと綺麗に重なるような感覚の時って、その状態自体を感謝して、楽しみたいと思いませんか。何も考えずに。いつでもそのように、良い状態では無いから。



春は一番好きな季節。



そして、春にちなんで何か本を読もうと手に取ったのは、「春にして君を離れ」(アガサ・クリスティー)。

雑誌のレビューで興味を持ったので、読んだ方も多いと思います。事件や探偵などが出てくるようなお話ではありません。心をある方面から、どこまでも剥き出しにしてゆくミステリー。


「・・・神様、感謝します、あの人のようでなくて。・・・」

「・・・あぁ、あの人はなんて気の毒な一生だった。かわいそうに(私は恵まれている)。」

主人公の女性が幾度も心の中で呟く、他人に対する偽善、恐ろしい自負の言葉達は、ほぼ無意識に吐き出されているよう。次第に自分自身の恐ろしい人間性を意識していくようになってゆく(そして、それを止めることができないでいる)、心の変化のみが綴られている物語。

・・・面白そうでしょう。




まだまだ今日は終わらない、という時間。続きを読もうかしら。

  • 2010年2月14日











とくに建築の勉強をするため・・という目的ではなくて、建築家がプランするうえでの、精神的なプロセスを知りたいから・・・ という理由でたまに読む、建築家の書く文章。

内藤廣氏「建築のちから」。知的で繊細、無言で語るように奥ゆかしく、控えめ。 論理的で現実的であって精神的、感覚的、温かさが伝わってくる。 いたって言葉自体は難しくなく、完璧すぎない、という完璧さ。 批評家のような口調とは当然かけ離れているけれども、自身の建築を通して、心の内の意見を言葉にしている・・・。 実際のクライアントとのコミュニケーションから生まれる他者(社会)との問題に向き合う心、それを解決してゆく術。 建築家個人のアーティスティックな精神世界を具体的な建物として表現してゆくセンス・・・。 批判することは、簡単なのです・・・。創造する事が、一番むつかしいこと・・・と、感じずにはいられない。 内藤氏は、出来上がりのイメージを初めにもつということはあまりないらしく、徐々にぼんやりとその全体のイメージが姿を現す・・・といったプロセスを持っているようです。そのぼんやり・・・の間に、周りの風景や歴史、人々の暮らしなどへの理解が深まってゆき、 プランが進んでゆくというプロセスは、まず自我ありきの建築にはならない、ということ。 個性的で目立つとか、人目をひく奇抜さ(エンターテインメント?)・・・とは対極のところにいる建築家なんだなと、思いました。

・・・そして、またまた話題とは全く無縁のおでぶねこちゃま。ついにそのおデブっぷり公開となりました。 どうでしょう、心配になりませんか、メタボからくる様々な症状に・・・。私は毎日、心配でたまりません・・・笑。





こんにちはお久しぶりです。 先月末で退職して、久しぶりにゆっっったりと過ごしております。 本当はゆったりしている暇などなくて、9月末の渡仏に向けて、色々準備をしなければなりません。 特に、語学。仕事との両立はむつかしいと、理由をつけて、退職したらしっかりやりましょうと決めていました。 しかし、映画や展覧会、個展と、出歩いてばかりで、ちっとも静かに椅子に座る気配がありません 笑。 ふらふら歩くのがこれほどに好きなのは、何故でしょう。

その、答えのヒントとなったのが、タイトルの「ディフォルト・ネットワーク」。 茂木健一朗氏の「脳は0.1秒で恋をする」という本のテーマになっている言葉です。 引用しますと、「明瞭な意識で物事を考えているわけではないけれど、 まったく思考を停止させているわけではない。 次から次へと頭に浮かぶ想念の波に揺られつつ、自由に想像の羽をはばたかせている、 それが『ディフォルト・ネットワーク』を働かせている状態であり、人間の『創造性』とも深くかかわりがあるといわれています。」 脳の中にあるネットワークの一部のことだそうで、 ぼんやりとしている状態にこそ、活発に活動しているらしいです。 そういえば、学生の頃、課題のことを考えているときは、うろうろ歩きまわっていたし、 電車の窓の外をぼんやり見つめていると、アイディアと出会ったりすることが多々ありました。 椅子に座って一生懸命考えていてもうまくいかないのは、こんな脳のしくみが、かかわっているからかもしれません。 空間のありようは、本当に重要であると再認識しました。 合理性をつきつめると、その先には余白のない精神状態につながっているような気がします。 そして、精神のためにある「教会」のつくりに、改めて関心を抱くようになりました。 西洋美術史の某先生のミニットペーパーでも見直そうかな。


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