この数日で、桜がぽつぽつと咲き始めましたが、今日の横浜の嵐はとても激しいものでした。
春の嵐の荒れた景色は、ひとしきり大粒の雨と強い風に覆われていましたが、
夕方には美しい青空に包まれて、深く深呼吸をした後のような、
豊かな澄んだ空気が広がっておりました。
空模様と、ヒトの心とはとても深く繋がっているということ、
どこの国の空の下にいても、いつも立ち止まっては静かに思い返します。
雨上がりに散歩をしましたら、桜は元気に咲いておりました。
散歩をしながら、ふと先日、イタリア人の友人との会話を想い出しました。
それはこういうお話・・・、その友人は、過去にヴェネチアに住んでいたそうで、
ヴェネチアに雨が降ることは、とても恵みのひととき、
観光客が減り、風景としても雨のヴェネチアはとても美しいのだそう。
街の水位がとても上がってしまう、「アクアアルタ」が起きてしまっては、大変ではない?と訪ねても、
現地の人々にとっては慣れたもの、
むしろ水の中を歩くゆったりとした時の流れは、特別でもあるよ、とのことでした。
それで、教えてもらった、ヴェネチアのAcqua Altaの様子のヴィデオ。
私は以前に3度ほどヴェネチアを訪れましたが、全て快晴、
ヴェネチアの迷路のような街のつくりに詳しくなく、何度も迷子になりましたので、
雨ではすこうし辛かったかもしれません。
冠水への対策を、建築的に大掛かりに作り替えず、古い街並みをそのまま残すということが、
とても簡単ではないと、にっぽんに住んでいると感じるのです。
先月、工学院大学で行われた、陣内秀信氏の講演会に、仕事の後に聴講しにゆきました。
陣内氏はにっぽんとイタリアの建築史家、1985年には江戸と東京の街の姿を深く分析した、
「東京の空間人類学」という本を出版されております。
(ここ数年では、江戸—東京に焦点を当てた様々な書籍は、書店に沢山ありますね)
にっぽんと、イタリアを行き来しながら見えてくる、”客観的な” 都市のいまとむかし、
のお話が聞けると思って、とても興味深かったのです。
講演会ではヴェネチアと東京に焦点をあててお話をされていましたが、
「ヴェネチアの街は、水とヒトとの繋がりを、自然的かつ計画的に設計している」
と話していたことが、とても印象的・・・というよりも、友人のイタリア人のお話をふと想い出させる、
「ほんとうに、そうだわ」と思い返すフレーズでした。
観光地として華やかである一方、住んでいるヒトにとって、ゆるりとした豊かな時間が流れていることは、
実際にサンマルコ広場などの賑わう広場ではなくて、
小さな運河沿いの路地でのんびり過ごしてみると、実感するのです。
講演会では江戸の街と水の繋がりのお話もとても興味深いものでしたが、これは、
いまむかし、から、みらいのお話へ繋がってゆきますね。
都市とデザイン、というと大きなテーマに感じるけれど、
今日のそらのいろ、と、心の響き合いに耳をすませ、深く観察することが、
とても大切だと、相変わらず・・・思うのです。
雨上がりの散歩道。
下りの階段、水たまりに電信柱が映っています。