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sense of wonder
不思議さを感じることのできる、こころの不思議。
その謎を探るような日々の足あとを綴ります。
  • 2010年9月11日

旅の続き・・・


ルーマニアに入ってから、今まで体験した事のないほど(それほど、多くの場所を知りませんが・・・)「アジア人として、からかわれる」という場面に沢山遭遇しました。夜遅くにブカレストの東駅に着いた事もあまり良い事ではなかったのですが、道の途中のジプシー・乞食の人々や、普通のカップルから、大声で何か叫ばれた時は少し怖かったです。またいくつかあてにしていたホステルが、実際は全て運営していなかったというのも(よくあるそうなのですが)私は驚いてしまいました。偶然、安くて良いホテルを見つけましたが。


よくあるのは、「ニーハオ」「チャイニーズ?」と数人の男性が近づいてくる事。

ブカレストから、トゥルチャという街へ移動して、その街のケバブ屋さんの前にいた時のこと。数名の青年が、「チャイニーズ?」と言って近づいてきました。パリでも、その他の街でもそういう人々はいるので、大分慣れてきてはいたものの、もちろんいい気分はしませんね。とくに、この国では相当アジア人が珍しいのでしょう。そしてアジア人=中国人だと思っている人々が多い様子でした。


私は、わりとフランス語が堪能なmoに、ほんの冗談で「フランス人、て答えたら?」と言ってみました。

そうしたらmoは本当に、「フランス人よ。」と言ったのです。

声をかけてきた青年は、ぽかんと一定時間、思考が止まって自分の世界に飛んで行っているように見えました。思考が止まっているというよりも、頭の中の地球儀の、アジア付近にフランスという国を探してみてみるものの、ないので、地球儀をくるくると回してみて、あぁもしかしたらヨーロッパのあのフランス?というようなところへ辿り着くまで頭をフル回転させていたように見えました。

十数秒後、「ああ、え?フランス人?」と驚いた様子で話すので、moが「そうよ、パリに住んでいて・・・」と内容は忘れてしまったのですがスラスラとフランス語で話し始めます。彼らもほんの少しフランス語は理解している様子でしたので、冗談なのか?しかしフランス語を話しているから本当なのか?と半信半疑で戸惑った様子。しかし彼らの態度は、私たちがもしかしたらアジア人ではなく、「パリジェンヌ」かもしれないと思い始めたところから、態度は急変。これ以上口説いても無駄である、早く退散すべき・・・という雰囲気で「Au revoir・・・」と足早にどこかへ行ってしまいました。


私は、まさかmoが本当に言うと思っていなかった上、彼のぽかんとした表情がとても面白かったので後ろで笑っていたのですが・・・。


アジア人の顔をしたフランス人がいるかもしれない、ということが、多分カルチャーショックだったのかもしれません。私たちはもちろんそうではないけれど、日系アメリカ人然り、そういう人々が大勢いるということを知るということは、重要な事なのです。私もパリに来て、これほどの人種がフランス(パリ)にいるという事を実感できたことは、とても大きな体験だったのですから。



以降も、大勢の青年たちにからかわれる等の場面に遭遇するのですが・・・

しかしルーマニアではとても親切な人々と出会い、素敵な時間を過ごすことも沢山あったのです。それは上記のような経験のことなど忘れさせてくれるほどに素晴らしい出会い。どんなところでも、様々な人がいるので、たった数回の経験で「この国の人々は・・・」なんて簡単には、言えないものね。


それは、また後ほど。

  • 2010年9月10日

ワンパターンだけれどお気に入りの散歩コース。 (パリの地理に詳しくないと、少し分かりづらい記事になってしまいました。) 自宅から10分ほど、大通りのひとすじ裏の細い道を少し足早に、Bastille広場まで歩きます。そこからSt-Paulまでは大通りまたは小さな細い道を気分で選びながら、風景を楽しみます。そのままPt-Marieまで、セーヌ川を目指します。お隣の小さな島、サンルイ島で散歩は終了。帰りも歩かなくてはならないのでこのあたりが、ちょうどよいのです。 St-Paul前のカフェ

何かとリヴォリ通り沿いから多くの場所へ行けてしまうため、ルーヴル美術館くらいまでなら、頑張って歩いてしまう事もあるのです。ポンピドゥーにしても、ノートルダム大聖堂にしても。そうなると、ほぼこの散歩コースを絶対に通ることとなるのです、もう、何度歩いたことでしょう・・・。反対に、パリの西側はほとんどメトロを使って移動してしまうために、あまり歩く機会がなかったように思います。夜のエッフェル塔など、数回しか見た記憶がありません。 今夜の、Pt-Marieからのセーヌ川。9時頃になると日がだいぶ暮れて、どんどん日が短くなってゆくのを体験すると、秋、そして冬までも思わせます。少し前までは、この時間帯とても明るかったのです。



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少し寂しく感じるのは、夏の終わりと、迫っている帰国のせいね。



  • 2010年9月9日

パリにいると、「パリと比べて、日本はこう」とか、「日本と比べて、パリはこう」というような話題によく直面します。

例えば、「日本人は空気を読んで行動する事が多いけれど、パリの人ってそういうことあまりないよね」というケース。パリの人々は、相手の顔色を窺って考えて行動するということをあまりしません(日常生活の何気ない場面です。ビジネス等多くの場面は知りません)。しかしながら、サービス精神旺盛な人は沢山います。それは本人が望んで本能的に行動しているように感じます。そういう面で日本を見つめると、「日本は、少し窮屈ですね。」というような方向に、大体の話題が向いてゆくのです。


ただ、何かしらの「違い」を発見したり、そこから色々なことを学ぶのはとても面白いなぁと感じているのですが、そこから比較して、どちらかを批判的に、優劣をつけてゆく・・・というような雰囲気へ話題が向いてゆくとき、なんとなく違和感を覚えてしまうのです。


違うのはあたりまえで、たった数か所の違いを発見して、優れているか、劣っているかもしくは、「パリはこうで、日本はこう」というようなことはそんなに簡単に分かるようなことでも、言えるようなことでもないように思うのです、少なくとも私のように年月も少なく、経験も少ないならば・・・。数年でも、きっと少ないのでしょう。しかしながら、話題の方向性としてはついついそんなふうになってゆくこと、結構あるのです。何十年も過ごして居ても、そんな風に言わない人も沢山いらっしゃるようですが。


帰国土壇場で記していますが、だいぶ前からの、違和感でした。

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