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sense of wonder
不思議さを感じることのできる、こころの不思議。
その謎を探るような日々の足あとを綴ります。

吉本隆明氏

「言葉というものの根幹的な部分はなにかといったら、沈黙だと思うんです。

言葉というのはオマケです。沈黙に言葉という部分がくっついているようなもんだと解釈すれば、僕は納得します。

なにか喋っているときは、それがいいにしろ悪いにしろ、もう余計なものがくっついているんです。だから、それは本当じゃないと思います。」


こんなお話を読んで、ここに言葉の定義のようなものが出来ているなら、

”心の中に静かに、無意識に、自然に湧きあがってきたもの”は、「言葉の原石」のようなものなのかしら、と私なりに解釈しました。

口にした時点で、原石ではなくなってしまう。そういうことならば、画家は沢山の言葉の原石を持っていて、それが絵に現われるのでしょう。


そんなことを、アムステルダムのゴッホ美術館の中で感じました。大量のデッサン入りの手紙を彼の弟に送り、数え切れないほどの絵と文章でも表現しきれない、多くの言葉に溢れていた人なのでしょう。


当時、手紙・絵以外の便利なメディア・・・インターネット上のblogなどのようなもの、がもしもあったならば、彼はどのように表現して、どのような最期だったのでしょう。現代の、デジタル世界の便利さの傍ら、批判的な意見も多々あるなか、単純に「(闇サイト等)悪影響だから・・・」というような理由での批判にはなんとなく納得のいかないもの。むしろ、そういった悪影響を与えると言われているような場所に、なにか真実のようなものが隠れているのではないかしら。外側と繋がろうとする、何か。口には出来ない、言葉の原石のようなもの。見ないふりは、出来ればしたくはないですよね。

7、8月は長期間スペインに行ったり、2度目のスイスに行ったりとパリを離れた生活をしていたため、

ブルガリア・ルーマニアの旅行記がおざなりになってしまいました。とても色々な思い出のできた旅行だったのに。


宮本輝氏「ドナウの旅人」という物語の後を追うように旅をしていたmoと私は、

ブルガリアからルーマニアへ国境を越えるため、「ルーセ」というブルガリアの街に向かいました。

こちら、以前「幸せのハチミツ」という記事で紹介した、イヴァノボという街の側にあります。


ルーマニアへは列車で国境を越えるのが一番安いので、一日に2本(16時半頃、夜中3時半頃)の、

16時半頃の列車を予定して11時過ぎにルーセにたどり着きました。

ルーセの駅は、タクシー斡旋のおじさん達が居るので、列車が来るまで街の観光をしていました。

フランスに比べて物価はとても安いので、カフェ1杯40~60サンチームほどで頂くことが出来ます。

私たちはいつものように、カフェでおしゃべりをしたり、いくつかスケッチをしたり、果物を頂いたり・・・と、ゆったり過ごしておりました。

途中、これから越えるドナウ河を眺めて、向こう岸のルーマニアを想ったりしていました。


16時半の列車ということで、私たちは16時前に駅にたどり着くよう、

moの時計を頼りに駅に戻りました。


駅で切符を買おうとすると、係の女性は「ノン、ノン」というような素振り。

あら、ここではなくて券売機で買わなくてはいけないのかしら、と振り返ると、

タクシー斡旋のおじさんも「ノー!フィニッシュ!」など、相変わらずしつこく私たちに話しかけてくるので、

とにかく避けるようにして券売機などを探してみようとしました。


しかしながら、斡旋のおじさんは非常にしつこく、駅の時計を指しながら何かを訴えてくるのです。

ふと、私が時計に目をやると、その時計はすでに、16時半を遥かに過ぎた、17時をまわっていたのです。

「?。ちょっとmo、今何時?」と訪ねると、moの時計は16時過ぎを指しています。

駅の時計より、きっかり1時間遅れているのです。駅の時計が違うのではないかしら・・・と思いたいけれど、

おじさんは「フィニッシュ!バットノープロブレム!タクシー!」と明らかに、今日の列車はもうないよ、タクシーしかないよと言っています。

窓口の女性も、その事を伝えていたらしいのです。

そこで私自身のケータイの電源を入れてみると、時刻は駅の時計と一致していたので、あぁ、moの時計は1時間遅れていて、

列車は行ってしまったのね、ということがやっと分かりました。


それなら、他に国境を越えるには(タクシーは高すぎるので使いません)・・とか今夜はルーセに宿泊かしらとか、

フランスとの時差は1時間あるのでもしかしたら時計を合わせていなかったのかしら、

などうるさいおじさんを完全に無視して色々考えていました。


しかし、よくよく思い返してみると、この時期ワールドカップが開催されていた時期で、

初日ブルガリアのソフィアに着いた日に、moと日本戦を見るため、テレビのあるカフェを探していました。

フランス時間で16時からはじまるから、こっちだと17時からだよね~などと話して、

私はしっかりmoが時差に合わせて1時間時計をずらしている事を、はっきりと確認していたのです。

moの時計はデジタルではなくアナログ式です。

何かの衝撃で狂うにしても、きっかり1時間いつのまにか遅れているというのは、不思議な話だと思いませんか?

または1日かけてゆっくり1時間遅れているかもしれないとも思ったのですが、

ルーセの駅で気づいてからは二度と、狂う事はなかったのです。


二人で、色々な可能性を(アナログの時計が1時間きっかり狂う可能性。。。)あれこれ想像していたのですが、

どうしても納得のいく答えがでません・・。

夢遊病のように寝ながら無意識にねじを巻いていて・・・などと、そんなわけない!という話でだんだん盛り上がったり。笑。

そして物理的には不可能!という結論で、つまり、本当に不思議体験をしてしまったということで話はまとまりました・・・

いえ、まとまっていないのですが。笑。



そういうわけで、夜中の列車に乗る事になってしまった私たち。

駅近くの親切なホテルのロビーで列車の到着時間まで待たせてもらい、

再びルーセの駅へ向かいました。


夜中3時半に出発といえども、2時過ぎにはその列車は到着している様子。

3番線から出るのだけれど、到着は1番線でした。多分、出発前に切り離しが行われて3番線に移動するのでしょう・・・

というわけで、私たちはまだ1番線に列車が止まっているうちに乗り込みました。

もちろん、不安なので3人程(駅員含む)にブカレスト行きかを確認してから。

車両には私たち以外誰も乗っていません。驚いたのは、大量の蚊(!)が乗り込んでいたのです。

パリと違って湿度の高いブルガリアは、驚くほど蚊が大量にいるのです。この列車で夜を過ごすので、

とにかく1匹ずつ退治してゆくしかありません。

夜中の列車の中で、女性2名が蚊の退治に追われている姿は、とても面白いですよね(私たちは必死なのですが)。

そうして疲れ果てて、眠りについていました。


がたんごとん・・とゆっくり列車は動き出しました。

二人ともぼんやりしていましたが、なんともいえない違和感をはっきり感じ取っていました。

moが時計を見ると、出発予定の時刻よりだいぶ遅れているらしい。

3時半発なのに、4時を回っている。

おまけに、3番線から発車と書いてあったのに、1番線の状態から発車しているのです。


再び、ふたりの頭の中に「?」の空白の雰囲気が漂いました。

出発時刻もホームも表示と違う・・・私たちの列車は、一体どこへゆくのでしょう。

車両には、私たちのみしかいないのです。


そしてmoがひとこと、「ブカレスト行きの表示の下には、モスクワ行きの列車が表示されていた。」

「モスクワ・・・?モスクワって、ロシアの?ロシアに行くの?この列車。・・・ロシア行きだった・・・?」という、漠然とした答えが出てしまったのです。よりにもよって、ロシア。

ビザ無しで入ろうとしたら一体どうなってしまうのでしょう・・・という国です。


しかしながら、すでに列車は夜の街を走っています。

この日の不思議体験で感覚が麻痺していた私たちは、少し沈黙ののち、完全に開き直ったのです。


「そうね、仕方ないのでロシアに行きましょう。」


しっかり覚悟が出来てしまったので、あとはゆっくり眠りについていたのでした(!)。

しかしながら、途中ルーマニアにてパスポートコントロールが行われました。

このパスポートコントロールも、係の人がパスポートを持って行ったまま40分ほど戻ってこなかったので、その40分もなにかと不安要素になりました。

しかしながら、しっかりスタンプを押されたパスポートを見て、無事にブカレストに入れる事が分かったので一安心。ロシア行きではなかったのです。



結局、パスポートチェックなどで発車時刻が遅れ、また出発ホームは、表示が間違っていたのでしょう、ということになりました。

それにしても、国境を越えるような列車のホームの表示を間違えるなんて・・・なんという駅、ルーセ。

本当にロシア行きだったとしたら、と思うと恐怖です。そもそも、不可解に時計が遅れなければ・・・。


なんだか一日中、きつねにつままれたような気分でした。

ドナウ河(国境)を越えるのにミステリーがついてまわるなんて。

もう、輝氏の小説の事などすっかり頭から消え去っていた、ルーマニアの夜明けでした・・・。


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これはオランダ・アムステルダムのカフェです。

まだ日本では熱中症で死亡者が出ているほどに猛暑だと聞きました。 こちらには秋の気配が早くも訪れております。 もう少し、残暑があってもよいのに。 久しぶりにPCを開き、色々な方のブログなどをひと巡りしていたら、 「パリにはおしゃれなカフェが沢山あって素敵」というような、内容の日記を発見いたしました。 確かに・・・おしゃれなカフェは沢山あります。 ガイドブックに載っているようなカフェには確かに、素敵なパリジャン・パリジェンヌが集っています。 しかしながら・・・ 例えば私の住む12区には、有名でなくとも可愛らしい素敵なカフェがひしめきあう場所がありますが、 何故かお客さんはほとんど、「おやじ」(想定40~55歳ほど、私服で真昼からお酒を飲む)なのです 笑。 わらわらと、どこからともなく溢れて、湧き出てくるように見えるのです。 カフェに限らず、昼間のスーパーでも見る事が出来ます。 先日、買い物へ行った時の事、レジはひとつしか空いていなくて長蛇の列が出来ておりました。 ふと前を見ると、私以外全員「おやじ」だったのです。 (おじさま、おじいさまという雰囲気の人は含みません。) 日本では考えられない光景だと思います。 いったいどうしてこんなに溢れているのでしょう。 初めから、ずっと12区周辺で生活をしていたせいもあり、 こんなものなのかしら、ヨーロッパのカフェって、くらいにしか感じていませんでした。 しかしながら、先日行っていたオランダのカフェ、 いくつか入ったのですが「おやじ」たる年齢・風貌の人々が「湧き出ている」ような雰囲気はどこにも見られませんでした。 (もちろんパラパラとは居ます。) 思えばスイス、スペイン、ブルガリア、ルーマニアなど、 多くはないけれど、いくつか目にした街の中のカフェに、 パリのような光景を見た事があまりないのです。 そういえば、郊外の「chars」という街のカフェにmoと行ったときも、 私たち以外は「おやじ」が増殖していっていましたが、 そのうちの一人が息子を連れてきていました。 多分、10歳前後だったでしょう。 驚いてしまったのは、すでに10歳ほどの子供が早くも「おやじ」的な風貌を持っていたという事です。 自分の「おやじ」と同じような歩き方をして、馬券をチェックしてみたり、 やる気のなさそうな雰囲気でバーの高いカウンターに肘を乗せながらボーっと競馬を見る。 その後ろ姿、なんとも周りのおやじの中に自然に溶け込んでいるのです・・・。 あぁ、こんなに若くしておやじデビューだなんて・・・と私とmoはぽかんと見つめておりました。 外国から戻ると、自分の住む街には、異常発生しているのではないかしら、と思えるほどの、 おやじの多さに改めて違和感を感じてしまうのでした・・・。

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