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sense of wonder
不思議さを感じることのできる、こころの不思議。
その謎を探るような日々の足あとを綴ります。
  • 2013年1月1日

明けましておめでとうございます、2013年が始まりましたね。 元旦は快晴で始まり、自宅から歩いてゆける神社へ、母と初詣へゆきました。 カウントダウンもまともにしないまま、気付けば年が明けていた ・・・という大晦日の夜を過ごし(お月様・グラッパとともに・・・笑)、 はたと慌ててPCへ向かい、あたたかな謹賀新年のメッセージを、 とおい外国のヒトから受け取ったりして、

そして「そちらではこれからよい年越しを」なんてお返事をしたりして、 2012年は(つい昨年)にっぽんよりも8時間も遅れて出発したのに・・・? というように相変わらずタイムラグに慣れること無く、 確かな実感のないまま朝を迎えていたのでした。 月の満ち欠けにこれだけ毎晩のように惹かれているのに、カレンダー上のことばには、 どうもうっかりしてしまいがち・・・ さすがに大晦日にそれはありませんが(笑)、 たとえば「今年の抱負は」という類いの気持ちの切り替えを、上手にしたことが無いのですね。 そういう中で、初詣の途中に、富士山の緩やかな美しいシルエットを味わいながら、 同じ風景を写真におさめたヒトはどれだけいるのかしらん・・・とぼんやり想像しつつ、 にっぽんのお正月を迎えたことを、深く実感したのでした。 ありふれた変わらない生活の中で、穏やかに聳え立つ大きな山にふと足を止めて、 カメラのシャッターを切ること、めったに無いものです。 いつでもそこにあるということ、再認識するよいきっかけになりました。 自分自身の意思で方向転換する時も、気付けば大きく風向きが変わっていることも、 旅をしていれば自然と起きるものですね。 どうしたらよいのかしら?という瞬間も訪れます。 目に見えることの無い、小さな大切な声に、今年も気付いてゆけたらと思います。 知るというところから、解るというところまで。 目に映るものを見つめながら、そのまわりの空気を描くように・・・ 手は理解して、鉛筆や筆に伝えるのです。 引き続き、本年も何卒宜しくお願いいたします。 2013年はどのような年になるのかしら、皆様にとって素敵な一年となりますように。



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今年も残すところあとわずか、皆様どのような年越しの準備をされているのかしら。 昨日は一日中雨ふりでしたが、今年最後のにっぽん(ヨコハマ)は、優しい空色と、そして穏やかに日が落ちてゆきました。 パリやミラノの空は美しいかしら。 このように備忘録としてweb上にて日記を綴るようになってから何度か年末を過ごしましたが、 いつでもこの時期、過ぎ去った、長く短い一年を巡るよい機会となっております。 同時に、ヨーロッパにいる時は(とおい)にっぽんを、にっぽんにいる時は(とおい)ヨーロッパを、 8時間差で新しい年がやってくるというタイムラグを意識しながら、ことばを綴っておりました。 今年はこうして静かに、にっぽんにて無事に新しい年を迎えることができそう、とても感謝です。 思えば今年前半はミラノからにっぽんへ移動、環境の変化に伴って、様々な方々に助けて頂く機会の多い年でした。 パリ、ミラノ、にっぽんの友人のみなさま、職場のみなさま、優しく美しい言葉、あたたかなご指導を、本当にありがとうございました。 ただいま夜がやってまいりまして、ほんのすこうし欠けた月が昇って参りました。 いくつか千切れた黒い雲が浮かんでおりまして、その向こう側に、 オレンジ色の強い金色に輝く月が美しく見えております。 ほんの少しの時間でも空を見上げることは、とても豊かな瞬間です、 例えばとても忙しいとき、気持ちの晴れない日であっても。 何処の地にいても、同じようにそう想うのです。 そしてそういう共通した意識は、様々な、バラバラに見える点と点を繋いでゆくものです、 時の流れや環境の変化で、考えや価値観が変化するなか、 変わることのない意識が一本の線を描いてゆくように思うのです。 今夜は、カレンダー上では大切な点、とはいえ意識は変わること無くさらりと過ぎ去ってゆきそうです。

どうぞ来年もよろしくお願いいたします、皆様にとって素敵な年越しの時となりますように。


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  • 2012年11月8日

おととい、横浜は、とても深い深い霧に包まれておりました、朝方は、隣の家もよく見えないほど。



冬というだけで何故こうもドキドキするのでしょう、自分でも解らないのですが、

多分、空気が澄んで、夜空の星がよりはっきりとよく見えるようになるから、だと思うのです。

ぼんやりと、もやもやしていたものが、くっきり、はっきりとしてゆこうとする、

前兆を感じるときの感覚に、似ているのかもしれません。


不可解またはすこうし重たい、などの理由で、一時保留またはあえて気付かないようにしていたもので散らかっていた

心の一部(PCのデスクトップ?)が、何かのきっかけで、軽快に、明確になってゆく予感がする瞬間です。

そういうとき、思考はどこまでも深く深く留まらず、しかし心は空を飛ぶように軽やかな状態であるように思います、

それは、自由という言葉を、連想させる?



冬といえば、散歩道もとても好きです、

霜のおりた朽葉の中には、宝石のような造形美をもつものが見つかることがあるのです。

冬は寒いですが、心の内が温かくなる要素に溢れています、

日常の息吹の中に、ひっそりといらっしゃるのですね。

いつでも、私が最優先することは、心の状態(自分、周りの人、動物、etc・・・)、

例えば何もしない、という時間、とても大切なのです。



ところで霧の世界といえば冬のミラノ(冬は非常に濃い霧に包まれる日々が続きます、

3m先も見えないほどです、イタリア人は平気で車を運転します、凄い&怖い!)、

当然ながら横浜の霧の風景を見れば、ミラノのことを想い出さずにはいられません。


そういう日の朝に、「御元気ですか、ミラノの冬は思い出しますか・・・」というミラノの友人からの温かい御便り

(本文はもっともっと長い)がPCに届き、不思議な偶然(というか、私の心が見えてしまったのかしら!)

に目をまるくしつつ、地球の裏側に距離を感じない瞬間に、感謝するのでした。



そして霧の日のかえりみち、突如白い猫に遭遇し、暫くぼんやりと立ち止まってしまいました。

何故なら、その少し前に、猫が現れたらいいのに、と強く思っていたから(本当なのです)!




この冬の物語は、もやのかかった白い世界で幕をあけたのでした。

この霧が晴れてゆくストーリーを想い描くのは、素敵なことですね。

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