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sense of wonder
不思議さを感じることのできる、こころの不思議。
その謎を探るような日々の足あとを綴ります。
  • 2011年6月7日

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ここのところ、ミラノの空は柔らかい雨を降らせ、ほんのたまに太陽が顔を出すのだけれど、

私は雨の中を歩くことも、部屋の中から眺めたり、音を聞くこともとても好きなので、

こころが落ち着く日々が続いております。


今日でちょうどミラノ2ヶ月。愛するヨーロッパの夜空を、東を向いた8階の大きな窓から眺めると、

深い深呼吸をしたあとのような心の深いところで、ここにいることを実感する事が出来るのです。


風景はどのような瞬間でも、ほぼ無意識に通り過ぎている何気ない場所でも、こころの中に刻まれてゆくものだと思うから、

毎日の生活の中で目にすることは、ヒトの精神にとても大きな影響をあたえるのでしょう。

柔らかいオレンジのあかりがぽつぽつと灯りだして、深い青い夜の世界がやってくると、いつもそう想わずにはいられません。


ものを創ること、風景を構想すること、建物を建ててゆくことは、設計者が培ってきた様々な技術+心に刻まれた様々な風景がとても大きく影響してしまう・・・

そのループが延々繰り返されてゆくから、本当に大きな責任があるのだと、随分昔からそう思ってきたけれど、相変わらずそう思います。

しかしとても時間の流れが速いところでは(本当は多くはないと思うのだけれど、何故だかそういうところが、とても多く・・・あるように感じる)、

あっという間に風景をつくりかえたり、軌道修正が効かないまま、突き進んでゆくこともあるので(誰か、特定のヒトのせいではないと思う)、あれ、おかしいな?というポイントに、出来る限り素直でいたいと思うのです。


ところで気になる木。

そういうcmがあったけれど、あのようにあからさまに気になるようなものではないのです、毎日窓から見える、というだけの、何処にでもあるような普通の木なのだけれど。

気にならないといえばならないのだけど、一度気にしてしまうとずっと気になってしまうの。

中途半端なボリューム、立ち位置もしっくりこない、あまり可愛げのない歪な枝の垂れ具合・・・どこにでもある地味なたたずまいで、誰も気にとめないと思うのだけれど、

何故か気になってしまうの。不思議ね。

周囲の木とは種類が異なって、葉の色も異なって、ポツンと一本立っているからかしら。

それだけではないかもしれないけれど。




誰か、一本の木だけで物語がどこまでも広がって完結してゆくおはなしを、知らない?

  • 2011年5月8日

東の空、夕焼けに染まっていた大きな雲が、とても遠くで美しく浮かんでいたので、じっと見つめていたら、

あっという間に夜の闇の中に消えてゆきました。

正確に言うと、日が沈んだので、オレンジ色が消えて、周りの空の色の青に同化しただけで、雲自体はずっとそこに浮かんでいました。

かすかにその姿を見ることが出来たので、さらにじっと見つめていたら、

それは入道雲の様な形で、雲の中で雷が起きていて、稲妻がピカリと光っていました。幾度も、黄色く光り輝いていました。

あまり風の無い空気で、雲はじっとそのまま、そこに浮かんでいました。

その下には、ドゥオモがかすかに見えて、おんなじ、黄色い光によってライトアップされた姿が浮かび上がっていました。


さらに雲を見つめていると、だんだんと雲は形を崩して、分裂してゆきました。

ひとつの大きな塊だった入道雲の様な雲は、ちぎれちぎれに散ってゆき、ミニ入道雲みたいなものがぷかぷかと浮かんでゆきました。

そうして、そのひとつひとつの小さな雲の中で、小さな稲妻がピカリピカリ、光を放っていました。

それぞれは、どんどん離れていって、気がつくと全て完全に、夜の闇の中に姿を消してしまって、雲の姿は全く見えなくなりました。



ポワンと、夕陽を浴びて美しく浮かび上がった雲の中で、ピカリと冷たく稲妻が走っている。

さっきまであったものが、もうそこには無い。



解らない事が沢山あって、秘密を知りたい謎が常に新しく生まれてゆくから、

私には、それが明日を生きるひとつの理由となってゆくのです。



大切な知人のU牧師先生が、ミラノを離れて少しの間、にっぽんへ、被災地へ入ることとなりました。

現実に起きている事を、目で見て、あるがままを冷静に見つめることをしなければ、知識やヒトの噂からはきっと、何も解らないのでしょう。

観察記をつけるようなもの。

私的感情を一切切り捨てた状態。

そうして、あるがままを受け入れることが、とてもむつかしいのですね、きっと。


どうか先生の無事が守られますように。先生の目的が無事に果たされますように。




・・・ところで、雲を見だすと何時間も止まらなくなる癖は、いつか治る時が来るのかしら?

  • 2011年5月6日

まだ若い、10歳くらいの可愛らしいイタリア人の女の子が、自分の求める「赤色」の油絵具を探す旅、をしていました。

同じ日に3か所、別の画材屋で、彼女と偶然出会ったのです。たった一本の絵具のチューブを持って、その「赤」と同じ「赤」を探しているのだけれど、同じ銘柄は何処にもなく、全く同じ色が見つからないみたい。店員さんを巻き込み、ふたを開けて、店中の赤をまじまじと見つめるのだけれど、う~ん、違う!の繰り返し。同じく、私も自分に合う画材屋を探す旅に出ている途中で、時が重なったのね。


さすがに3つめのお店の時は、お互いに気がついて、


「あなたは探し物、みつかった?」

と、言葉を交わしました。



お互いに、「ノン」。



こじんまりとした、優しい雰囲気の沢山の画材に囲まれながら、

「本物を見つけるのって、難しいわね」

と、軽い溜め息をついて少し笑いました。




それぞれ目的が異なるので、また新しい場所へと、それぞれの旅は続いてゆきました。



・・・その後。


私はstudioの近くに、ちょうどよい画材屋を見つけました。店員のおじさまがとても良い雰囲気の、良心的なお店!

とても大きなキャンバスも、値段の条件なしに、無料で自宅まで送ってくださるという・・・!素晴らしいです。感謝。



あの子は見つかったかしら、お気に入りの「赤」。

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