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sense of wonder
不思議さを感じることのできる、こころの不思議。
その謎を探るような日々の足あとを綴ります。

アトリエは9時半に始まるので、それなりに早起きして家を出ています。もちろん日本で仕事をしていたときに比べれば、だいぶ遅いとは思うのですが。

パリでは、昼間からカフェに沢山の人々が集い、和やかに時を過ごしています。カフェの数に劣らず街中に溢れるほどにあるブランジュリーにも、香ばしい香りに誘われるように、人々が集まります。店に入れば、マダムが「Bonjour!」と、生き生きした笑顔で迎えてくれます。日本では普通「いらっしゃいませ」ですが、こちらでは「こんにちは!」と、言うようなものですね。「またお越しくださいませ」に代わって、「よい一日を!」となります。このニュアンスの違いはほんの小さなことだけれど、長い目で見れば大きな文化の違いに繋がるのでしょう。

東京とパリではここ彼処にわずかに異なる風が吹いており、そういう風に吹かれるたび、ふと立ち止まる癖は初めてパリを訪れた頃と全く変わりません。もちろんそれは、パリを見つめている時だけではなくて、日本を見つめている時も同じなのです。

例えば、インターネットでのインフォメーションを見るときや、記憶の中の日本を思い出している時など。最近とても不思議なのは、あらゆる事象を「型」に収めようとする「流行語」が、にぎわいを見せると言うことです。例えば古いものだと「KY」、近しいもので「草食系男子」など。どちらも、人によっては暴力的な言葉になりかねないもののように感じるのだけれど、企業などの「組織」の中での縦割りの世界の中でさえ、軽々しく使われていたことをふと、思い出すのです。友人同士での間で使うこととは、意味が異なるように思えてなりません。

良い悪い、好き嫌いは別として、そういう新たな「型」の生まれてゆくことがにぎわいのひとつである、ということが、本当に不思議でならないのです。対してパリには、新しいものに塗り替えることよりも、古くから使われている事柄を自然に守っていこうとする何か、力があることも、不思議。

こんなに不思議な世の中で、いったい誰が、狭くて窮屈な型に収まりたいと願うのかしら。























狭いところがお好き? 























高くて広いところが好き。

  • 2010年2月14日











とくに建築の勉強をするため・・という目的ではなくて、建築家がプランするうえでの、精神的なプロセスを知りたいから・・・ という理由でたまに読む、建築家の書く文章。

内藤廣氏「建築のちから」。知的で繊細、無言で語るように奥ゆかしく、控えめ。 論理的で現実的であって精神的、感覚的、温かさが伝わってくる。 いたって言葉自体は難しくなく、完璧すぎない、という完璧さ。 批評家のような口調とは当然かけ離れているけれども、自身の建築を通して、心の内の意見を言葉にしている・・・。 実際のクライアントとのコミュニケーションから生まれる他者(社会)との問題に向き合う心、それを解決してゆく術。 建築家個人のアーティスティックな精神世界を具体的な建物として表現してゆくセンス・・・。 批判することは、簡単なのです・・・。創造する事が、一番むつかしいこと・・・と、感じずにはいられない。 内藤氏は、出来上がりのイメージを初めにもつということはあまりないらしく、徐々にぼんやりとその全体のイメージが姿を現す・・・といったプロセスを持っているようです。そのぼんやり・・・の間に、周りの風景や歴史、人々の暮らしなどへの理解が深まってゆき、 プランが進んでゆくというプロセスは、まず自我ありきの建築にはならない、ということ。 個性的で目立つとか、人目をひく奇抜さ(エンターテインメント?)・・・とは対極のところにいる建築家なんだなと、思いました。

・・・そして、またまた話題とは全く無縁のおでぶねこちゃま。ついにそのおデブっぷり公開となりました。 どうでしょう、心配になりませんか、メタボからくる様々な症状に・・・。私は毎日、心配でたまりません・・・笑。























フランスに住み始めて4カ月と少したちましたが、未だに違和感を捨てきれないこと、

それは食べる前の「いただきます」ということばに当たるフランス語がないということ。

異文化の驚きや新鮮さから色々なことを考える機会が多いのですが、違和感として・・・

「う~んお腹のあたりにしっくりこない感じ」というのでしょうか、割り切れない、と感じる事柄はあまりなかったのです。しかしながら・・・「いただきます」を言わずに食べ始めること(タイミング?)はずっと違和感としてあって、

フランス人やその他の外国の友人との食事の際もいただきます、とつぶやいてしまうのです。

以前、フランス人の友人に尋ねたところ「Bon appétit」(たっぷり召し上がれ、食事を楽しんでください)でよいと教えてはもらったものの、根本的な意味が異なるために複雑になるのです。「それほどつっこまなくても~笑。」と、日本の友人にはつっこまれてしまうのですが。

それほど気にもとめない、ほんの一瞬のわずかな違和感に敏感で素直であることが、無意識に日本独自の文化、精神のひとつひとつへゆっくりと意識を傾けることになると思うといちいち立ち止まってしまうのです。長年外国に住んでいる方はどうなのでしょう、最近気になることです。

そんな話題とは全く無縁のでぶネコちゃん(写真はおでぶに見えないショット)。「そんなむつかしいこと、どうでもいいから、そのご飯、僕にもおくれ~」という眼差し。

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