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sense of wonder
不思議さを感じることのできる、こころの不思議。
その謎を探るような日々の足あとを綴ります。

6月ももう終わり。あっという間ですね。


少しずつ、イタリアが好きになっている私。


先日、語学学校でミニテストがありました。筆記と会話。

午前中のstudioが長引いて遅刻をしたのだけれど、ざっくりと時間を個人的に延長してくれてなんとかなりました。

会話は、いつもの先生(女性)といくつかのテーマを選んで1対1で話をするというもの。

「あなたは、暇な時間に何をしますか?」というテーマがあって、基本的にこちらが一人で色々話します。

例えば、本を読みます、とか、テレビを見ます・・・というように、回答の範囲はとても広いので話しやすいですね。

ところで、イタリア人は「愛」について話すことが大好き。

そういうわけで、私は「暇な時間は、大好きなヒトのことを想ったり、愛について色々と考えるの。」と試しに(テストなのに)言ってみました。

そうしたら、先生のテンションは凄い勢いでヒートアップ。「ブラーボKANAKO!」「解るわ!どんな人なの?」「私もね、・・・・」

・・・もはやテストでもなんでもなくなってしまいました。生徒が一人で話すはずのテストが、ただのガールズトークになってしまいました。

先生の方が話していたかもしれないわ。私はそんなに話せないもの。

文法も、単語も、大分間違っていたように思うのだけれど、先生はそれなりの高得点をその場でつけていました。

♪鼻歌♪を歌いながら、♪ブラーボ♪ブラーボ♪と呟きながら「とってもよく話せているわね!」とのお言葉を頂き、テストは終了しました。


・・・イタリア人、好きだわ。



先日、ミラノから少し離れた街、ベネチアへ行ってきました。

今年はベネチアビエンナーレ+イタリア統一150周年の為、ベネチア以外でもビエンナーレに関わるイベントが様々な所で行われています。

パリに住んでいるMさん、フィレンツェに住んでいるUさんと、ミラノの私、同じ大学の出身という繋がりでベネチアで落ち合いました。


今回利用した宿について、少しだけ。http://www.hostelworld.com/hosteldetails.php/PLUS-Camping-Jolly/Venice/15562

私達の部屋は一晩一人当たり15ユーロととても低価格でありながら、環境も設備もスタッフの対応もよいところでしたのでお勧めです。

本島からバス+徒歩で、30分ほどで辿りつくことが出来ます。

barもミニマーケットもあって、とっても便利。


とっても安くて美味しいジェラート屋さんが少し歩いたところにある、ということが素敵なところ。

リモーネ味が大好きなのだけど、とても美味しくて3回もリモーネを食べてしまったわ。


高級なホテルを望んでいるなら話は別ですが、そうでなければお勧めです。

(スタッフの人と少し仲好くなって、ここを友人に紹介するわと約束したの。)


本島の観光地の雰囲気とはまるで反対の、小さな家々が立ち並ぶ、ゆったりとした静かな優しい雰囲気の町にあります。パリの郊外にも、このようなところがあったわ。




そういうわけで、本島の話ではなくて郊外のマイナーな話だけになってしまったけれど。笑。




ビエンナーレは、素晴らしい作品が多々ありました、言葉に出来ないほど。

是非行って確認してください。グランプリだったドイツ館は、本当に素晴らしかったです。




まだまだ、ビエンナーレは開催していますから^^














宿の敷地はとても広くて、大型キャンピングカーも沢山。


















作業中。














安藤建築の美術館。

  • 2011年6月23日

語学学校は、よく出会いと別れが繰り返されます。

ほんのひととき、同じ目標を持っていることで出会った様々な国の人たちが集まることは、貴重な出会いと経験です。

どれほど私が多くのことを知らずに、多くのメディアの表面の言葉を鵜呑みにして、「国」というまとまりで物事を考えているかを知り、

偏見や思い込みが、自分の世界を狭くしているということに、気づくのです。


今週はとくに、別れの多い日々でした。

別れ際は、与えてもらってばかりだったわ、という想いが、必ずこころによぎります。



もちろん、語学学校の人たちに限った事ではないけれど。



会いたい人がいるということは、本当に幸せなことで、素敵なこと。

会えない寂しさを感じたら、そのこころの裏側には、こんなに美しい事実があるのね。

強くなろうとしたり、無理をしなくても、その事実は変わらないと思うのです。

表裏一体。同時に起きるこころの動きのひとつなのね。弱さとは違う。

何度も何度も、夜があけて美しい朝がやってくる事を経験から知っているのに、暗闇の中にいると、分からなくなってしまうのかもしれません。

どうか私の大切なひとたちが、もし分からなくなっていたら、ふとその事実に気がつくことが出来ますように。



空や、海や、街や、人を美しく感じるのは、こころの目で見るから。

日々の、美しいことは、全てこころの中にあるの。

  • 2011年6月7日


















ここのところ、ミラノの空は柔らかい雨を降らせ、ほんのたまに太陽が顔を出すのだけれど、

私は雨の中を歩くことも、部屋の中から眺めたり、音を聞くこともとても好きなので、

こころが落ち着く日々が続いております。


今日でちょうどミラノ2ヶ月。愛するヨーロッパの夜空を、東を向いた8階の大きな窓から眺めると、

深い深呼吸をしたあとのような心の深いところで、ここにいることを実感する事が出来るのです。


風景はどのような瞬間でも、ほぼ無意識に通り過ぎている何気ない場所でも、こころの中に刻まれてゆくものだと思うから、

毎日の生活の中で目にすることは、ヒトの精神にとても大きな影響をあたえるのでしょう。

柔らかいオレンジのあかりがぽつぽつと灯りだして、深い青い夜の世界がやってくると、いつもそう想わずにはいられません。


ものを創ること、風景を構想すること、建物を建ててゆくことは、設計者が培ってきた様々な技術+心に刻まれた様々な風景がとても大きく影響してしまう・・・

そのループが延々繰り返されてゆくから、本当に大きな責任があるのだと、随分昔からそう思ってきたけれど、相変わらずそう思います。

しかしとても時間の流れが速いところでは(本当は多くはないと思うのだけれど、何故だかそういうところが、とても多く・・・あるように感じる)、

あっという間に風景をつくりかえたり、軌道修正が効かないまま、突き進んでゆくこともあるので(誰か、特定のヒトのせいではないと思う)、あれ、おかしいな?というポイントに、出来る限り素直でいたいと思うのです。


ところで気になる木。

そういうcmがあったけれど、あのようにあからさまに気になるようなものではないのです、毎日窓から見える、というだけの、何処にでもあるような普通の木なのだけれど。

気にならないといえばならないのだけど、一度気にしてしまうとずっと気になってしまうの。

中途半端なボリューム、立ち位置もしっくりこない、あまり可愛げのない歪な枝の垂れ具合・・・どこにでもある地味なたたずまいで、誰も気にとめないと思うのだけれど、

何故か気になってしまうの。不思議ね。

周囲の木とは種類が異なって、葉の色も異なって、ポツンと一本立っているからかしら。

それだけではないかもしれないけれど。




誰か、一本の木だけで物語がどこまでも広がって完結してゆくおはなしを、知らない?

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