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sense of wonder
不思議さを感じることのできる、こころの不思議。
その謎を探るような日々の足あとを綴ります。

今年も残すところあとわずか、皆様どのような年越しの準備をされているのかしら。 昨日は一日中雨ふりでしたが、今年最後のにっぽん(ヨコハマ)は、優しい空色と、そして穏やかに日が落ちてゆきました。 パリやミラノの空は美しいかしら。 このように備忘録としてweb上にて日記を綴るようになってから何度か年末を過ごしましたが、 いつでもこの時期、過ぎ去った、長く短い一年を巡るよい機会となっております。 同時に、ヨーロッパにいる時は(とおい)にっぽんを、にっぽんにいる時は(とおい)ヨーロッパを、 8時間差で新しい年がやってくるというタイムラグを意識しながら、ことばを綴っておりました。 今年はこうして静かに、にっぽんにて無事に新しい年を迎えることができそう、とても感謝です。 思えば今年前半はミラノからにっぽんへ移動、環境の変化に伴って、様々な方々に助けて頂く機会の多い年でした。 パリ、ミラノ、にっぽんの友人のみなさま、職場のみなさま、優しく美しい言葉、あたたかなご指導を、本当にありがとうございました。 ただいま夜がやってまいりまして、ほんのすこうし欠けた月が昇って参りました。 いくつか千切れた黒い雲が浮かんでおりまして、その向こう側に、 オレンジ色の強い金色に輝く月が美しく見えております。 ほんの少しの時間でも空を見上げることは、とても豊かな瞬間です、 例えばとても忙しいとき、気持ちの晴れない日であっても。 何処の地にいても、同じようにそう想うのです。 そしてそういう共通した意識は、様々な、バラバラに見える点と点を繋いでゆくものです、 時の流れや環境の変化で、考えや価値観が変化するなか、 変わることのない意識が一本の線を描いてゆくように思うのです。 今夜は、カレンダー上では大切な点、とはいえ意識は変わること無くさらりと過ぎ去ってゆきそうです。

どうぞ来年もよろしくお願いいたします、皆様にとって素敵な年越しの時となりますように。



  • 2012年11月8日

おととい、横浜は、とても深い深い霧に包まれておりました、朝方は、隣の家もよく見えないほど。



冬というだけで何故こうもドキドキするのでしょう、自分でも解らないのですが、

多分、空気が澄んで、夜空の星がよりはっきりとよく見えるようになるから、だと思うのです。

ぼんやりと、もやもやしていたものが、くっきり、はっきりとしてゆこうとする、

前兆を感じるときの感覚に、似ているのかもしれません。


不可解またはすこうし重たい、などの理由で、一時保留またはあえて気付かないようにしていたもので散らかっていた

心の一部(PCのデスクトップ?)が、何かのきっかけで、軽快に、明確になってゆく予感がする瞬間です。

そういうとき、思考はどこまでも深く深く留まらず、しかし心は空を飛ぶように軽やかな状態であるように思います、

それは、自由という言葉を、連想させる?



冬といえば、散歩道もとても好きです、

霜のおりた朽葉の中には、宝石のような造形美をもつものが見つかることがあるのです。

冬は寒いですが、心の内が温かくなる要素に溢れています、

日常の息吹の中に、ひっそりといらっしゃるのですね。

いつでも、私が最優先することは、心の状態(自分、周りの人、動物、etc・・・)、

例えば何もしない、という時間、とても大切なのです。



ところで霧の世界といえば冬のミラノ(冬は非常に濃い霧に包まれる日々が続きます、

3m先も見えないほどです、イタリア人は平気で車を運転します、凄い&怖い!)、

当然ながら横浜の霧の風景を見れば、ミラノのことを想い出さずにはいられません。


そういう日の朝に、「御元気ですか、ミラノの冬は思い出しますか・・・」というミラノの友人からの温かい御便り

(本文はもっともっと長い)がPCに届き、不思議な偶然(というか、私の心が見えてしまったのかしら!)

に目をまるくしつつ、地球の裏側に距離を感じない瞬間に、感謝するのでした。



そして霧の日のかえりみち、突如白い猫に遭遇し、暫くぼんやりと立ち止まってしまいました。

何故なら、その少し前に、猫が現れたらいいのに、と強く思っていたから(本当なのです)!




この冬の物語は、もやのかかった白い世界で幕をあけたのでした。

この霧が晴れてゆくストーリーを想い描くのは、素敵なことですね。

気付けば師走、Facebookを訪れておりますと、

世界各地から「寒いです!」というせりふや写真で溢れております、皆様御元気でしょうか。

今日はなんと気温が5℃なの!と、ロシア人の友人にメッセージを送ったら、

こちら(モスクワ)はマイナス5℃よ、と返されました、様々な世界がある現実は、面白いですね。

彼女との共通語はカタコトイタリア語(普通なら英語なのかしらん、でも私達はそうでは無い)、

ミラノでの語学学校の友人です。

外国人同士のカタコト○○語会話って、文法や発音が間違っていても不思議なほどに通じるもの、

同じ境遇に立たされている仲間意識は大きいですね(語学に限らず!?)。


数年前、パリからいくつかの国へ旅をしたのですが、

オランダのロッテルダムへ一人で行ったときのこと、

当時は常に安宿をよく利用していたのですが、このときは女性だけの部屋ではあったものの、

大部屋で人数はなんと25名ほど!の相部屋だったのです。

(ちなみに男女共同の100人ほど入る部屋もすぐ下にあったのでした)

安いからという理由ではなくて、旅をしているヒトとの出逢いが好きで、

私は相部屋がとても好きなのです(一人旅で一人部屋をとることは、めったにしない)。

こういう時にいつも感じることは、英語をもっと話せるようになるべきであるということ。

例えば別れ際に、「素晴らしい時間をありがとう」、と伝えるのに、直接的に言うのもいいけれど、

すこうしユーモアのある、素敵なお話を贈ることが出来れば、もっと伝わると感じることがあるのです。


ところがこのロッテルダムでの相部屋にて、カタコトフランス語を話す台湾人女性がいたのですね。

当時の私もほぼ同レベルのカタコトフランス語を話したので(今は完全にイタリア語が根をおろしています)、

間違いだらけのフランス語での会話が始まったのでした。

同じ境遇に立っているヒト同士は、理解するのにあまり時間がかからないものですね。

スケジュールに十分な余裕を持っていた私とその人は、丸々一日、ロッテルダム中を一緒に歩いたのですが、

あれだけカタコトでよく会話が成り立っていたわと、今でも不思議なほどに打ち解けて過ごしたのです。

(カタコト同士だから、なんだけれど)



でも考えてみれば、何故フランス語を学んでいるのか、何故オランダを旅しているのか、母国はどのようなところなのか・・・

と、これまでの道のりがあって、通過点ひとつひとつに想いがあるのだから、話題は尽きないのも当然ですね。



新しい出逢いの時に限ったことではなくて、

日常の小さな会話のなかで、ひとつの点についてお話しすることは、とても有意義ですよね。

彼女とのロッテルダムの時間は、過去のひとつの点だけれど、

記憶を紐解いてゆくことで今に繋がっているということは、つまり未来へ繋がっているということ。



・・・うふふ、一寸先は闇とは本当かしらん?



ところで、はす向かいの家に住んでいたご夫婦(私の親の世代よりすこうし上)が軽井沢へ引越し、

後に入る家族は家を丸ごと建て替える為に、現在の家は取り壊しが始まっています。

私は3歳の時から今の家に住んでいるので、

長い間見慣れていた家が、日に日に壊されてゆくのを目の当たりにし、

彼らにとっての長い時を過ごした空間が、

瓦礫となってゆくのはどんな気持ちなのかしらと、ふと立ち止まります。



もうほぼ取り壊されてしまったので、いつも以上に、空が大きく見えるようになりました。

青い空に、住んでいたご夫婦の笑顔が浮かび上がるのです。

記憶は、紐解くように辿ることもあれば、突如として具体的なイメージで現れるものですね。



えがくひと、つくるひと、うみだすひと・・・今という、ひとつの点の、心の表現をしているひとたちを、いつでも、私は深く尊敬しているのです。

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