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sense of wonder
不思議さを感じることのできる、こころの不思議。
その謎を探るような日々の足あとを綴ります。

奈良井宿という小さな宿場町の世界への憧れは、すでに三回ほど訪れているにもかかわらず、

今でも色褪せることなく私の胸中に、静かな炎のように佇んでいる。
















パリで出会った牧師先生、T御夫妻の家を訪ねて長野県松本市へ行って参りました。陽だまりのようにいつも暖かく接して下さるお二人にお会いできること、アルプスの連なる大自然の中に溶けてゆく事ができること、先生のメッセージを聞くことができるということで、帰国したら直ぐに行きたい場所でした。常に男らしく、偏らず話を受け止めてくれるRyさんとともに。

新宿からバスで3時間ほどで着いてしまう、都心からそう遠くないところでした。今回は観光というよりT御夫妻に会いにゆくことが目的で・・・、そういえば、近々の旅行で観光だけを目的にした旅ってあったかしら?とにかく、そういうわけで、T御夫妻の家(教会)で全てお世話になってしまいました・・・。

バス休憩のサービスエリア、山梨あたりからひんやりと澄んだ秋の空気になり、松本に着くと寒いなぁ、少し薄着かも・・・と都心との温度差を感じるのでした。

駅から車で教会まで移動する途中に松本城のまわりをくるりと一周してその御姿を拝見、小さな家々が連なる小道を抜けるときには、赤や黄色の実をつけた木々が日本の秋を感じさせてくれるのでした。都会を思わせる松本駅周辺とはうらはらに、教会は優しい緑の平原の先に小さく建っていました。この平原、T御夫妻の愛犬くろちゃんが毎日げんきいっぱいに走り回る場所なのです。T御夫妻家には、わたしたちが一晩過ごすための部屋が用意されていました。本に囲まれた素敵な部屋で、二人とも、わぁ~、と感激。

家の中には、T御夫妻のむかしむかしから、最近のパリ教会まで、じっくり歴史を感じさせるほどの写真で溢れていました。カメラの型そのものの古さ、被写体のポーズのとり方の現代との違い(雰囲気)などなど、写真には様々な要素から歴史を感じる事が出来るのですね。


ダイダラボッチ。ご存知ですか。この日T御夫妻は私たちをアルプス公園という大きな公園へ連れて行って下さいました。雄大な山々を見渡せる素敵な場所です。

展望台のある建物には、小さな御土産屋さんがあり、「デーラボッチ」と書かれた山の巨人のマスコットが売っていました。私は「デイダラボッチ」とちょっと異なる音で頭の隅にいたのですが、多分映画「もののけ姫」に出てきたという事で知っていたのでしょう。調べてみると、漢字で「大太郎法師」、日本の都市伝説や神話の中の巨人のようです。反対の意味にあたるのは「一寸法師」なんですって。美しくも恐ろしくもある自然の中に、「なにか、いる」という曖昧な感覚とともに現れる日本の神々や妖怪。おとなしかったり、優しかったりするものもありますね。どうやらこのアルプス公園の御土産屋のマスコットデーラボッチは、おっとりと優しい気質らしいです。妙に可愛らしくてついつい、妹へプレゼントで買ってしまいました。巨人をここまでキュートに仕上げる事が出来るのは、日本人の独特な感性のように思います。















T夫人の美味しい手料理を頂いたり、愛犬のくろちゃんと遊んだり、あっという間に時は過ぎ去りました。翌午前中は礼拝の時で、T牧師のメッセージを聞くことが出来ました。


この日は前日よりも冷え込み、持参して水に濡れたタオルも一晩経っても乾かない様子。礼拝前に、外にいるくろちゃんに触れると、ぽかぽかとしたぬくもりを感じたので、彼の周辺には陽の光が十分に注いでいるのね、と思い、くろちゃんの繋がれている梅の木にタオルをほしておきました。それなのに私はすっかりその事を忘れて、タオルを梅の木に忘れて帰ってきてしまったのです・・・。たまにこういうことあるので、気をつけなければ 笑。















T御夫妻には本当に感謝。そして旅の始まりからずっと、Rさんありがとう。


最後に・・・

大学のゼミで訪れてからずっとその風景が心にひっそりと映し出されている場所、奈良井宿について。

恩師の知人もいるこの小さな宿場町は、江戸時代、江戸と京の都を結ぶ重要な街道であった中山道、その69の宿場のうち木曽には11の宿がありその2番目に位置する通りです。

松本駅から列車で約1時間弱、日帰りでも行く事が出来ます。以前は恩師、ゼミ仲間と、歴史ある宿に数泊かけてゆっくりと、奥深い世界観に入り込んでゆく過ごし方をしました。今回は泊まらずに東京へ戻りましたが、数時間過ごすだけでも、豊かな歴史の風景が何かを語りかけてくるような、こちらが何かを受け止めて、何かについて考える心の状態へ導かれる様な場所でした。京都、奈良や金沢のような観光地の雰囲気とは大きく異なり、多くを含んでいないのです。ひっそりと、ちいさく息づいている、突如現れる一瞬の風景。















日が暮れれば黒い大きな山の影に包まれた闇の世界。

奈良井駅が可愛らしく小さく輝いていました。また来ます。

パリに1年ほどいて分かったこと、それは「パリは1年ではよくワカラン」ということ。というわけで、2年目も・・・と言いたいところですがそのような予定はありません。

最後のトドの会(画家のW氏宅で、W氏による暖かいカレーを皆で食べるの会)の時にSUちゃんに、「パリの一番好きなところってどこ?」という、直球の質問を頂きました。そう聞かれて、よくワカランではちょっとどうかと思ったので少し考えてみる事に。

どの場所が好きかしら、ということならばサクレクールやモンマルトルあたり、はとても好きです。そして住んでいたバスチーユ付近が一番好きかしら。しかしながら、SUちゃんの質問は場所というよりもパリのどのような顔、雰囲気が好き?というものでした。

あくまで日常の風景からですが、良くも悪くも、人と人との距離感が近いところ、かしら。彼らは、お互いが人間らしい欲望や弱さを持っているという事を、無意識に共有しているように見えるのです。


例えば・・・


スーパーのレジで仕事をしていようと、疲れていれば全くやる気のない態度に、友人がお客として現れれば、どれほど並んでいようと関係なく会話がしたいのでする。


メトロの中で、カラオケ音源で全く上手ではない大声で歌って小銭稼ぎをする。


メトロの改札を飛び越えて無賃乗車する人を、駅のインフォメーションの人は見ているだけ(注意する事は、自分の仕事ではないのでしたくない)。


あまりに面白くて嬉しい事があったので、突然知らない人でも話しかける。


いつでもどこでも、満員電車でもキスをする。


自分の話ばかりする。自分が楽しいと、皆も楽しいと思っている。自分がパニック状態だと、周りの話は聞こえない。


狭い通路で後ろに人が沢山つかえていても、マイペースな歩調を変える気はない(気づかない)。




まだまだ色々ありますが、これらの状況に対して特に驚いたり違和感を抱いたりしないということが、ただの「慣れ」ではなくて、ヒトの中に本来ある欲望や弱さを原因として表に現れる行為のひとつとして、「ありえない!」ということにはならないのでしょう。別に許し合っていると言う綺麗事ではなく、納得出来なければ、何故そのようなことで?と思う様な事でもむきになって怒りだす人もいます。あからさまに皮肉をぶつけてくる人もいます。それさえも、人間の自然な行為として白い目で見るようなことは無いのですね。


しかしながら、私はこういう本能的に「人間らしさ」を共有しているあたりに、人と人との距離感の近さを感じるのです。時としてそれはこちらにとって大きなストレスになることもあり、笑ってすまされる様な事ではない場合も多々あります。でもこの距離感、パリの顔の中ではとても好きなところかしら。う~ん、それほど好きでもないかしら 笑。 


・・・やっぱり、よくワカラン。

日本に戻りました。暑いのかしらと思っていたけれど、とても涼しいですね。パリの寒さに比べたらまだまだ、暖かく感じますが。

日本にいらっしゃる皆さま、お時間が合えばお会いしましょう。とても楽しみなのです。













飛行機で過ごすひとときは、めくるめく、日々が過ぎてゆく速さと、心の移ろいを強く感じる瞬間なのでしょう。明るい昼間から、あっという間に夜に向かって飛び、窓の外の風景が移ろってゆくのは、とても面白いのです。時差という、時計の時刻が少しずつずれてゆくことと、しかしながら時はただただ単純に過ぎて行っているだけ、常に、私たちは長い時の歴史の先端の果てを生きているという事はなにも変わらないのに、という感覚との不一致を、いつも感じてしまうのです。そういう時のこころは、過去と未来を美しく映し出す事があります。パリは、私がパリにいた瞬間よりもなんだか綺麗、日本は、今現実にいるこの瞬間よりも、輝いている、という感覚かしら。現実の風景ではなく、そういうこころのなかの映像を、実際の映像や音というメディアで映し出す事が出来たら・・・どのようなロードムービーになるのでしょう。未来にはそのような技術も生まれるのかしら。

それにしても、パリを離れるという事にあまり寂しさを感じなかった私。ギリギリまでオランダやフィンランドに旅行に行ったりしていたので、パリを発つ事自体もその旅行の流れの一環のような・・・笑。最終日さえも、moとカフェで会ったり、大切な友人が夜のセーヌ川のクルーズに誘ってくれたので、ひたすらお喋りでとっても楽しかったのです。

発つ1ヶ月前あたりは、寂しいなと感じることもありました。しかしながら、寂しく感じるという事は、出会えたことへの喜びを感じているこころの動きのひとつだと感じています。いつの間にかその感情は、出会えた喜びの方へ大きく変わってゆくと信じているのです。そうやって、前へ進んでゆく事になるのでしょう。パリでの全ての出会いに感謝して。皆さま、また、そのうち会いましょう。お元気でね!毎日のブログやつぶやき、楽しみにしていますね。

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