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sense of wonder
不思議さを感じることのできる、こころの不思議。
その謎を探るような日々の足あとを綴ります。
  • 2011年6月23日

語学学校は、よく出会いと別れが繰り返されます。

ほんのひととき、同じ目標を持っていることで出会った様々な国の人たちが集まることは、貴重な出会いと経験です。

どれほど私が多くのことを知らずに、多くのメディアの表面の言葉を鵜呑みにして、「国」というまとまりで物事を考えているかを知り、

偏見や思い込みが、自分の世界を狭くしているということに、気づくのです。


今週はとくに、別れの多い日々でした。

別れ際は、与えてもらってばかりだったわ、という想いが、必ずこころによぎります。



もちろん、語学学校の人たちに限った事ではないけれど。



会いたい人がいるということは、本当に幸せなことで、素敵なこと。

会えない寂しさを感じたら、そのこころの裏側には、こんなに美しい事実があるのね。

強くなろうとしたり、無理をしなくても、その事実は変わらないと思うのです。

表裏一体。同時に起きるこころの動きのひとつなのね。弱さとは違う。

何度も何度も、夜があけて美しい朝がやってくる事を経験から知っているのに、暗闇の中にいると、分からなくなってしまうのかもしれません。

どうか私の大切なひとたちが、もし分からなくなっていたら、ふとその事実に気がつくことが出来ますように。



空や、海や、街や、人を美しく感じるのは、こころの目で見るから。

日々の、美しいことは、全てこころの中にあるの。

parisにいた時、あれほど恋しかった和食が、今はたまに、ふと思い出すくらいになりました。

私の家のキッチンには未だに醤油・みりんが無く、ミラノの普通のスーパーで買うことのできる調味料で全てまかなっています。

皆さまのBLOGや、facebook等を拝見する時に、美味しそうな、うつくしい、にっぽんの食卓風景の写真を見るときに、ふと思い出してしまいますね。

去年は、ここまで和食が恋しいのでは、外国で生活するなど何年も出来るわけがないわと思っていた時期もありました。

今では全くその感覚が消えてしまうくらい、イタリアの食材が美味しいということなのかしら。

パスタも、パスタ+塩+オイルだけで十分美味しいです。

最近は、田舎に畑を持っている知人から、大量にルッコラを頂きました。収穫したばかりの土+根のある姿で、今も私の隣におります。

ルッコラはイタリアが故郷ですね。香りも、味もよく、栄養素も豊富な葉です。茹でると強い香りも和らぐので、最近は毎食事ごと、ルッコラを添えています。


食事時といえば、ワインなど、お酒を飲むのも楽しいと思うのですが、私はお酒に強くないので、普段はあまり飲みません。

しかし、イタリアといえば、grappa。こちら、食後酒です。これが、美味しいのです、本当に。

食後という飲みやすいタイミングと、優しい葡萄の香りが、蒸留酒の苦手意識を無くすほど(ほとんどの蒸留酒は、苦手)。

気軽に買うことのできる値段で売っていることが、ありがたいですね。


ミラノのことについて、もうひとつだけ。

スフォルツェスコ城(Castello Sforzesco)、ミケランジェロのピエタがあるところですが、

夜になるとライトアップします。真っ赤に、城そのものが発光します。ついたり消えたり、光の演出が動きとして表現されています。

たまに、エッフェル塔のような白いキラキラした光を放ちます。

私の家から、東を向いた窓から毎晩見ることが出来るのですが、まるで煙草の静かな赤い光のような、真っ暗な夜の世界では不思議な存在感があります。



ドゥオモのライトアップされた姿も見えるのですが、私の好奇心はこの魅惑の赤い光に強く惹かれています。














ひとまわりもふたまわりも大きなパスタ+ルッコラ


















grappa&Castello Sforzesco


  • 2011年6月7日


















ここのところ、ミラノの空は柔らかい雨を降らせ、ほんのたまに太陽が顔を出すのだけれど、

私は雨の中を歩くことも、部屋の中から眺めたり、音を聞くこともとても好きなので、

こころが落ち着く日々が続いております。


今日でちょうどミラノ2ヶ月。愛するヨーロッパの夜空を、東を向いた8階の大きな窓から眺めると、

深い深呼吸をしたあとのような心の深いところで、ここにいることを実感する事が出来るのです。


風景はどのような瞬間でも、ほぼ無意識に通り過ぎている何気ない場所でも、こころの中に刻まれてゆくものだと思うから、

毎日の生活の中で目にすることは、ヒトの精神にとても大きな影響をあたえるのでしょう。

柔らかいオレンジのあかりがぽつぽつと灯りだして、深い青い夜の世界がやってくると、いつもそう想わずにはいられません。


ものを創ること、風景を構想すること、建物を建ててゆくことは、設計者が培ってきた様々な技術+心に刻まれた様々な風景がとても大きく影響してしまう・・・

そのループが延々繰り返されてゆくから、本当に大きな責任があるのだと、随分昔からそう思ってきたけれど、相変わらずそう思います。

しかしとても時間の流れが速いところでは(本当は多くはないと思うのだけれど、何故だかそういうところが、とても多く・・・あるように感じる)、

あっという間に風景をつくりかえたり、軌道修正が効かないまま、突き進んでゆくこともあるので(誰か、特定のヒトのせいではないと思う)、あれ、おかしいな?というポイントに、出来る限り素直でいたいと思うのです。


ところで気になる木。

そういうcmがあったけれど、あのようにあからさまに気になるようなものではないのです、毎日窓から見える、というだけの、何処にでもあるような普通の木なのだけれど。

気にならないといえばならないのだけど、一度気にしてしまうとずっと気になってしまうの。

中途半端なボリューム、立ち位置もしっくりこない、あまり可愛げのない歪な枝の垂れ具合・・・どこにでもある地味なたたずまいで、誰も気にとめないと思うのだけれど、

何故か気になってしまうの。不思議ね。

周囲の木とは種類が異なって、葉の色も異なって、ポツンと一本立っているからかしら。

それだけではないかもしれないけれど。




誰か、一本の木だけで物語がどこまでも広がって完結してゆくおはなしを、知らない?

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