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sense of wonder
不思議さを感じることのできる、こころの不思議。
その謎を探るような日々の足あとを綴ります。

7、8月は長期間スペインに行ったり、2度目のスイスに行ったりとパリを離れた生活をしていたため、

ブルガリア・ルーマニアの旅行記がおざなりになってしまいました。とても色々な思い出のできた旅行だったのに。


宮本輝氏「ドナウの旅人」という物語の後を追うように旅をしていたmoと私は、

ブルガリアからルーマニアへ国境を越えるため、「ルーセ」というブルガリアの街に向かいました。

こちら、以前「幸せのハチミツ」という記事で紹介した、イヴァノボという街の側にあります。


ルーマニアへは列車で国境を越えるのが一番安いので、一日に2本(16時半頃、夜中3時半頃)の、

16時半頃の列車を予定して11時過ぎにルーセにたどり着きました。

ルーセの駅は、タクシー斡旋のおじさん達が居るので、列車が来るまで街の観光をしていました。

フランスに比べて物価はとても安いので、カフェ1杯40~60サンチームほどで頂くことが出来ます。

私たちはいつものように、カフェでおしゃべりをしたり、いくつかスケッチをしたり、果物を頂いたり・・・と、ゆったり過ごしておりました。

途中、これから越えるドナウ河を眺めて、向こう岸のルーマニアを想ったりしていました。


16時半の列車ということで、私たちは16時前に駅にたどり着くよう、

moの時計を頼りに駅に戻りました。


駅で切符を買おうとすると、係の女性は「ノン、ノン」というような素振り。

あら、ここではなくて券売機で買わなくてはいけないのかしら、と振り返ると、

タクシー斡旋のおじさんも「ノー!フィニッシュ!」など、相変わらずしつこく私たちに話しかけてくるので、

とにかく避けるようにして券売機などを探してみようとしました。


しかしながら、斡旋のおじさんは非常にしつこく、駅の時計を指しながら何かを訴えてくるのです。

ふと、私が時計に目をやると、その時計はすでに、16時半を遥かに過ぎた、17時をまわっていたのです。

「?。ちょっとmo、今何時?」と訪ねると、moの時計は16時過ぎを指しています。

駅の時計より、きっかり1時間遅れているのです。駅の時計が違うのではないかしら・・・と思いたいけれど、

おじさんは「フィニッシュ!バットノープロブレム!タクシー!」と明らかに、今日の列車はもうないよ、タクシーしかないよと言っています。

窓口の女性も、その事を伝えていたらしいのです。

そこで私自身のケータイの電源を入れてみると、時刻は駅の時計と一致していたので、あぁ、moの時計は1時間遅れていて、

列車は行ってしまったのね、ということがやっと分かりました。


それなら、他に国境を越えるには(タクシーは高すぎるので使いません)・・とか今夜はルーセに宿泊かしらとか、

フランスとの時差は1時間あるのでもしかしたら時計を合わせていなかったのかしら、

などうるさいおじさんを完全に無視して色々考えていました。


しかし、よくよく思い返してみると、この時期ワールドカップが開催されていた時期で、

初日ブルガリアのソフィアに着いた日に、moと日本戦を見るため、テレビのあるカフェを探していました。

フランス時間で16時からはじまるから、こっちだと17時からだよね~などと話して、

私はしっかりmoが時差に合わせて1時間時計をずらしている事を、はっきりと確認していたのです。

moの時計はデジタルではなくアナログ式です。

何かの衝撃で狂うにしても、きっかり1時間いつのまにか遅れているというのは、不思議な話だと思いませんか?

または1日かけてゆっくり1時間遅れているかもしれないとも思ったのですが、

ルーセの駅で気づいてからは二度と、狂う事はなかったのです。


二人で、色々な可能性を(アナログの時計が1時間きっかり狂う可能性。。。)あれこれ想像していたのですが、

どうしても納得のいく答えがでません・・。

夢遊病のように寝ながら無意識にねじを巻いていて・・・などと、そんなわけない!という話でだんだん盛り上がったり。笑。

そして物理的には不可能!という結論で、つまり、本当に不思議体験をしてしまったということで話はまとまりました・・・

いえ、まとまっていないのですが。笑。



そういうわけで、夜中の列車に乗る事になってしまった私たち。

駅近くの親切なホテルのロビーで列車の到着時間まで待たせてもらい、

再びルーセの駅へ向かいました。


夜中3時半に出発といえども、2時過ぎにはその列車は到着している様子。

3番線から出るのだけれど、到着は1番線でした。多分、出発前に切り離しが行われて3番線に移動するのでしょう・・・

というわけで、私たちはまだ1番線に列車が止まっているうちに乗り込みました。

もちろん、不安なので3人程(駅員含む)にブカレスト行きかを確認してから。

車両には私たち以外誰も乗っていません。驚いたのは、大量の蚊(!)が乗り込んでいたのです。

パリと違って湿度の高いブルガリアは、驚くほど蚊が大量にいるのです。この列車で夜を過ごすので、

とにかく1匹ずつ退治してゆくしかありません。

夜中の列車の中で、女性2名が蚊の退治に追われている姿は、とても面白いですよね(私たちは必死なのですが)。

そうして疲れ果てて、眠りについていました。


がたんごとん・・とゆっくり列車は動き出しました。

二人ともぼんやりしていましたが、なんともいえない違和感をはっきり感じ取っていました。

moが時計を見ると、出発予定の時刻よりだいぶ遅れているらしい。

3時半発なのに、4時を回っている。

おまけに、3番線から発車と書いてあったのに、1番線の状態から発車しているのです。


再び、ふたりの頭の中に「?」の空白の雰囲気が漂いました。

出発時刻もホームも表示と違う・・・私たちの列車は、一体どこへゆくのでしょう。

車両には、私たちのみしかいないのです。


そしてmoがひとこと、「ブカレスト行きの表示の下には、モスクワ行きの列車が表示されていた。」

「モスクワ・・・?モスクワって、ロシアの?ロシアに行くの?この列車。・・・ロシア行きだった・・・?」という、漠然とした答えが出てしまったのです。よりにもよって、ロシア。

ビザ無しで入ろうとしたら一体どうなってしまうのでしょう・・・という国です。


しかしながら、すでに列車は夜の街を走っています。

この日の不思議体験で感覚が麻痺していた私たちは、少し沈黙ののち、完全に開き直ったのです。


「そうね、仕方ないのでロシアに行きましょう。」


しっかり覚悟が出来てしまったので、あとはゆっくり眠りについていたのでした(!)。

しかしながら、途中ルーマニアにてパスポートコントロールが行われました。

このパスポートコントロールも、係の人がパスポートを持って行ったまま40分ほど戻ってこなかったので、その40分もなにかと不安要素になりました。

しかしながら、しっかりスタンプを押されたパスポートを見て、無事にブカレストに入れる事が分かったので一安心。ロシア行きではなかったのです。



結局、パスポートチェックなどで発車時刻が遅れ、また出発ホームは、表示が間違っていたのでしょう、ということになりました。

それにしても、国境を越えるような列車のホームの表示を間違えるなんて・・・なんという駅、ルーセ。

本当にロシア行きだったとしたら、と思うと恐怖です。そもそも、不可解に時計が遅れなければ・・・。


なんだか一日中、きつねにつままれたような気分でした。

ドナウ河(国境)を越えるのにミステリーがついてまわるなんて。

もう、輝氏の小説の事などすっかり頭から消え去っていた、ルーマニアの夜明けでした・・・。












8月半ば、スイスを再び訪れていました。

静かで、古い香りと新しい風を美しく兼ね備え、壮大な大自然に囲まれたスイスの空気が大好き。

スイスへはパリから列車で簡単に入れるので、気軽に行けることも嬉しい。

また、この国には奥深く美しい建築がひっそりとぽつぽつあって、もっと長い間滞在したい国なのですが、

今回は2泊3日という短期間でした。

ミラノ在住の友人MSちゃんがスイスへ旅をする、ということを聞いていて、

数回しか会ったことのない彼女に会って話をしたかった、というのがきっかけ。

そして前回の旅は冬期間という事で閉まっていたテルメヴァルスという温泉へ行きたいという想いがあったので、

一緒に温泉に行きましょうと誘ってみました。


MSちゃんは非常に謙虚でつつましく、yuriparkにてニットを創る仕事をしています。


こちら、MSちゃんが帰り際別れるときに手渡してくれた手紙。

素敵な贈り物。













ひとりで旅をするということと、誰かと旅をするということ、私にとってどちらも大切なこと。

しかしながら、この二つ、本当に何もかもが大きく異なるのです。旅で目にするものも、想うことも。

ふと思い出すのは、創世記をU先生から学んだ中で、「ヒトは関係性を持ったものとして創られている」という部分。

どうしても何かと関わりをもたずにはいられないのは、生きてゆくためだけの最低限の衣・食・住とともに、

わたしたちの心の中にも潜んでいるものです。

これに対しては、何故?と思ったり、そうかしら?と感じるようなことではなくて、絶対的なもののように想います。

内側にあるものは、いつでも外側と繋がろうとするのではないかしら。

どこへでも世界中を泳ぐ事ができるインターネットの世界はそれを象徴しているように感じます。

そして、こちらテルメヴァルス、スイス出身ピーターズントー氏の建築も、内側と外側の不思議な関係性。


山の奥に、大地と共存するように建てられています。半分は山に埋まっています。


























内側と外側の境界線(構造体など空間そのもの、ヒトとヒト、ヒトとモノ・・etc)を、

どこまでも極限まで曖昧にしてひとつにしてゆこうという、軽快で透明感があり、明るい建築に人が集まる一方で、

私たちは内と外のコントラストの強い空間の、緊張感のある閉鎖的な部分に惹かれてゆくこともあるでしょう。

そういう空間を住宅として表現している建築家は多くいますが、ここは温泉。

はじめはこの緊張感のある空間に、温泉という機能が詰まっている事に驚いたのですが、

実際はとても落ち着く空間でした。

外の大自然の壮大な力とのバランスを取る事が出来るのは、緊張感のある空間だから、なのかしら。

  • 2010年7月24日

わたしたちの、DNAに刻まれた、遠い昔の悲しい物語。 絶え間ないこころのゆらぎは、この記憶の中に秘密を託している。 朝目が覚めて、闇を切り裂く強い光を感じることが出来たなら、どれほど素晴らしいでしょう。 わたしたちは日々住まうところ、その空間の存在の大きさを、遥か昔から感じているのでしょう。 渦巻きの家。ひとつの空間でありながら、刻々と異なる場所を生みだす、不思議な家。 この小さな家の設計図は、一体どこからやってくるのでしょう。














ドナウの果ての、黒海で拾った巻き貝。

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