言葉と沈黙と、画家。

吉本隆明氏

「言葉というものの根幹的な部分はなにかといったら、沈黙だと思うんです。

言葉というのはオマケです。沈黙に言葉という部分がくっついているようなもんだと解釈すれば、僕は納得します。

なにか喋っているときは、それがいいにしろ悪いにしろ、もう余計なものがくっついているんです。だから、それは本当じゃないと思います。」


こんなお話を読んで、ここに言葉の定義のようなものが出来ているなら、

”心の中に静かに、無意識に、自然に湧きあがってきたもの”は、「言葉の原石」のようなものなのかしら、と私なりに解釈しました。

口にした時点で、原石ではなくなってしまう。そういうことならば、画家は沢山の言葉の原石を持っていて、それが絵に現われるのでしょう。


そんなことを、アムステルダムのゴッホ美術館の中で感じました。大量のデッサン入りの手紙を彼の弟に送り、数え切れないほどの絵と文章でも表現しきれない、多くの言葉に溢れていた人なのでしょう。


当時、手紙・絵以外の便利なメディア・・・インターネット上のblogなどのようなもの、がもしもあったならば、彼はどのように表現して、どのような最期だったのでしょう。現代の、デジタル世界の便利さの傍ら、批判的な意見も多々あるなか、単純に「(闇サイト等)悪影響だから・・・」というような理由での批判にはなんとなく納得のいかないもの。むしろ、そういった悪影響を与えると言われているような場所に、なにか真実のようなものが隠れているのではないかしら。外側と繋がろうとする、何か。口には出来ない、言葉の原石のようなもの。見ないふりは、出来ればしたくはないですよね。

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