気付けば師走、Facebookを訪れておりますと、
世界各地から「寒いです!」というせりふや写真で溢れております、皆様御元気でしょうか。
今日はなんと気温が5℃なの!と、ロシア人の友人にメッセージを送ったら、
こちら(モスクワ)はマイナス5℃よ、と返されました、様々な世界がある現実は、面白いですね。
彼女との共通語はカタコトイタリア語(普通なら英語なのかしらん、でも私達はそうでは無い)、
ミラノでの語学学校の友人です。
外国人同士のカタコト○○語会話って、文法や発音が間違っていても不思議なほどに通じるもの、
同じ境遇に立たされている仲間意識は大きいですね(語学に限らず!?)。
数年前、パリからいくつかの国へ旅をしたのですが、
オランダのロッテルダムへ一人で行ったときのこと、
当時は常に安宿をよく利用していたのですが、このときは女性だけの部屋ではあったものの、
大部屋で人数はなんと25名ほど!の相部屋だったのです。
(ちなみに男女共同の100人ほど入る部屋もすぐ下にあったのでした)
安いからという理由ではなくて、旅をしているヒトとの出逢いが好きで、
私は相部屋がとても好きなのです(一人旅で一人部屋をとることは、めったにしない)。
こういう時にいつも感じることは、英語をもっと話せるようになるべきであるということ。
例えば別れ際に、「素晴らしい時間をありがとう」、と伝えるのに、直接的に言うのもいいけれど、
すこうしユーモアのある、素敵なお話を贈ることが出来れば、もっと伝わると感じることがあるのです。
ところがこのロッテルダムでの相部屋にて、カタコトフランス語を話す台湾人女性がいたのですね。
当時の私もほぼ同レベルのカタコトフランス語を話したので(今は完全にイタリア語が根をおろしています)、
間違いだらけのフランス語での会話が始まったのでした。
同じ境遇に立っているヒト同士は、理解するのにあまり時間がかからないものですね。
スケジュールに十分な余裕を持っていた私とその人は、丸々一日、ロッテルダム中を一緒に歩いたのですが、
あれだけカタコトでよく会話が成り立っていたわと、今でも不思議なほどに打ち解けて過ごしたのです。
(カタコト同士だから、なんだけれど)
でも考えてみれば、何故フランス語を学んでいるのか、何故オランダを旅しているのか、母国はどのようなところなのか・・・
と、これまでの道のりがあって、通過点ひとつひとつに想いがあるのだから、話題は尽きないのも当然ですね。
新しい出逢いの時に限ったことではなくて、
日常の小さな会話のなかで、ひとつの点についてお話しすることは、とても有意義ですよね。
彼女とのロッテルダムの時間は、過去のひとつの点だけれど、
記憶を紐解いてゆくことで今に繋がっているということは、つまり未来へ繋がっているということ。
・・・うふふ、一寸先は闇とは本当かしらん?
ところで、はす向かいの家に住んでいたご夫婦(私の親の世代よりすこうし上)が軽井沢へ引越し、
後に入る家族は家を丸ごと建て替える為に、現在の家は取り壊しが始まっています。
私は3歳の時から今の家に住んでいるので、
長い間見慣れていた家が、日に日に壊されてゆくのを目の当たりにし、
彼らにとっての長い時を過ごした空間が、
瓦礫となってゆくのはどんな気持ちなのかしらと、ふと立ち止まります。
もうほぼ取り壊されてしまったので、いつも以上に、空が大きく見えるようになりました。
青い空に、住んでいたご夫婦の笑顔が浮かび上がるのです。
記憶は、紐解くように辿ることもあれば、突如として具体的なイメージで現れるものですね。
えがくひと、つくるひと、うみだすひと・・・今という、ひとつの点の、心の表現をしているひとたちを、いつでも、私は深く尊敬しているのです。
Comments